雄ちゃんを描いた1枚のスケッチ
〈ニアメ郊外 散歩コース 1985?〉 と記されたスケッチがある。この道をご主人の雄三さんが時々歩いていたことから「散歩コース」と呼んでいたようである。その「散歩コース」を歩いているのは夕餉の買い物を済ませて家路に着く女性で、背中には赤ん坊をおんぶしている。右手に見える藁葺倉の辺りに住んでいるのであろうか、穏やかな暮らしの日常が感じられる。
そして同じスケッチブックの3頁後に描かれているのは帽子をかぶった雄三さんで、遠くへと続く一本の道を歩いている。これこそが雄三さんの散歩コースのはずであるが、ここには何も記されていない。「無題」である。
どこまでも続く道が伸びているばかりで、まるで彼の人生そのものにも見える。散歩コースと呼んでいた道がテッサワへと続く運命の道になるような、予感を感じた瞬間の様にも思える。 そして私には、この後ろ姿にどことなく幼さが感じられる。
さて私事であるが新潟の母は父より1歳年上で、結婚当時はそのことが世間体にかかわり、実際結婚後もそのことで苦労したとこぼしていた。私の妻は4歳年上、結婚前に伯父達が何やかやいう中、母は何も言わずに見守ってくれた。 そして静子さんは雄三さんの9歳年上、城下町松本での歳の差はいかなるものであっただろうか、。静子さんも当初はプロポーズをお断りしたそうだが、そこを乗り越えたのは雄三さんの強い意志と愛があったからに違いない。静子さんは世間の一般的な考えを超越した彼の考えを理解しつつも、彼の世間への甘さと幼なさも感じつつ、見守ってあげたいという感情が強く湧き上がったのではあるまいか、、 そんなことも思わせるたった一枚の雄三さんのスケッチである。
2023年 4月5日(水)~4月9日(日)に松本市美術館で開催される展覧会では、これらのスケッチブックも展示する予定である。実際のデッサンを目の当たりにすると、鉛筆の力の加減と共に作者の考えていたことまでもが伝わってくるようで、静子さんを身近に感じることができる。アフリカで雄三医師ひとりを支えに生きる不安と、彼を支える大きな愛の強さを感じられずにはいられない。
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