砂漠の旅

1988年
2月11日、ニアメを出発、タゥワにて宿泊
2月12-13日、アガデスにて所用と準備
2月14日朝にアガデスから砂漠に入る。
(このころ谷垣医師は首都ニアメの国立病院で、JICAの専門家として、ニジェールでは最も医療設備の整った病院にて、外科医として技術指導に当たっていた。休暇を利用しての砂漠の旅であった。)
2月15日、テネレの木
2月16日、ファシー(Fachi)に向かう
2月17日、ファシー
2月18日、ビルマ(ビルマへの計画は以前から考えていたようで、6年間待ってようやくビルマに到着できたと記している、もちろん谷垣医師は病院を訪れて見せてもらっている。)
2月19日、ビルマから帰路に
2月24日、アイール ビルマからの帰路は野営を行いながらアイールへ、
2月25日、アイール発 途中ドゴンドゥッチで野営
2月26日、ニアメに戻る。(長い旅が終わった後も、車で揺られている感じがなかなか取れない、と静子さんは記している。)

実に身体的にも大変な「砂漠の旅」であったに違いない。
谷垣医師は1984年にもニジェール全土の調査に出かけているが、このビルマへの旅では彼自身が何かを決心した旅のようにも思われる。地方医療の改善への確信を得たのではないだろうか。

この旅の写真は「砂漠の旅」(1)~(3)にまとめられている。
これらの写真をもとに、砂漠のイメージを動画にまとめてみた。

JICA横浜で開催された企画展に合わせた「砂漠の旅」導入部(1分6秒)に続き、

サハラのスケッチの(砂漠、人々、キャラバン)(1分10秒) 

そして「砂漠の旅all 1988/1989」 は砂漠の入り口の町アガデスから、オアシスの町ビルマまでのアルバム「砂漠の旅」(1)~(3)の総集編です。(14分11秒)

ニジェールの外科医と静子さん

ニジェールのテッサワにて、外科医として生きた谷垣さん、 そして彼の苦難を包み込み、しなやかな視点と感性で、 目の前の情景を描き続けた静子さん。 ここでは二人の生き方と描かれた絵の数々を紹介します。 #アフリカ, #ニジェール, #テッサワ, #谷垣雄三, #谷垣静子, #外科医, #画家, #砂漠

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